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京都地方裁判所 昭和61年(ワ)2433号 判決 1991年3月26日

原告

西山正彦

右訴訟代理人弁護士

菊地逸雄

佐々木寛

被告

株式会社講談社

右代表者代表取締役

服部敏幸

被告

田代忠之

米本和広

右三名訴訟代理人弁護士

金住則行

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告株式会社講談社(以下「被告講談社」という。)、被告田代忠之(以下「被告田代」という。)、被告米本和広(以下「被告米本」という。)は、原告に対し、別紙の謝罪広告を朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、サンケイ新聞、日本経済新聞、京都新聞の各朝刊の全国版に、三段抜きで、二分の一頁、「謝罪広告」とある部分を三倍ゴシック体活字、その余の部分を1.5倍明朝体活字で、相応の字隔を取って、一回、月刊雑誌「現代」には、一頁前段で、「謝罪広告」とある部分を三倍ゴシック体活字、その余の部分を1.5倍明朝体活字で、それぞれ一回掲載せよ。

2  被告講談社、被告田代、被告米本は、原告に対し、各自金五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  1、2につき、仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告講談社は、書籍・雑誌の出版等を目的とする株式会社であって、月刊雑誌として現代(以下「現代」という。)を日本全国に発行している。被告田代は、現代の編集人であり、被告米本はルポライターとして現代昭和六〇年一〇月号の一五四頁から一六九頁において「独占スクープ、清水、金閣を手玉にとった男、怪商・西山正彦が京を牛耳る」との見出しではじまる記事(以下「本件記事」という。)を執筆したものである。

(二) 原告は、京都市内に本社を置く株式会社三協西山の代表取締役である。

2  名誉毀損の事実

(一) 被告講談社は、本件記事が掲載された現代昭和六〇年一〇月号を日本全国に販売頒布した。

(二) 本件記事の中には次に列挙する部分がある。

(1) 「清水、金閣を手玉にとった男、怪商・西山正彦が京を牛耳る」(表題)、「三十八歳、不動産業社長。四年間にわたる古都税問題のドロ仕合を演出した男。皇后の弟・東伏見慈洽から今川市長、塚本幸一、高僧グループを自在に操り、仏教会に君臨する〝闇の支配者〟は何を狙うのか」(前文)

(2) 「会議から一時間後、会場入口で記帳した署名簿がそのまま念書に変わる。謀略以外の何ものでもなかった。」(一五八頁本文上段一五行目ないし一八行目)

(3) 「この西山を核に、古都税問題は激化し、終息していった。表の舞台に顔を出したのは、八日の秘密会議の場だけである。しかし、少なくともこの二年近くは、すべて西山の自作自演である。西山に敬服し、絶対的な信頼を寄せている一握りの僧侶を中心に、心から古都税に反対している僧侶達、円満に解決を願う人を巧みに利用し、西山は〝燃える古都〟を演出したのであった。」(一五八頁本文中段一六行目ないし二二行目、同頁下段一行目ないし四行目)「西山の手足となった僧侶達は口の軽い俗物人間である。」(一五八頁本文下段一二行目ないし一三行目)「西山が古都税騒動の全体の核なら、この四人は京都仏教会の核である。」(一五九頁本文下段六行目ないし八行目)「四人の共通点は古都税闘争では『過激派四人組』、私生活では『ゴルフ仲間』『夜の遊び好き』(僧侶、祗園のママの話)にある。四人組は西山の懐刀であった。」(一六〇頁本文上段一行目ないし五行目)

(4) 「西山を軸に動き回った関係者の多くは固く口を閉ざしている。取材に応じた人もニュースソースの秘匿が絶対の条件だった。複数の人は『どんないやがらせがあるか分からない。誰が秘密をもらしたか、執念深くつきとめるような男だ』と心から怯えていた。」(一五八頁本文下段五行目ないし一一行目)

(5) 「市と仏教会の対立が硬直化していた五十九年春ごろ、京都商工会議所会頭、ワコール社長の塚本幸一のもとを西山が訪れた。西山はいきなりこういってのけた。『おっさん、あんたを男にしてやるで。今度の古都税問題、あんたの顔で解決してやる』」(一五八頁本文下段一六行目ないし二三行目)

(6) 「一方で拝観停止を四人組を通し指導しながら、もう一方で塚本との話し合いを長引かせる。西山は何を考えていたのか。」(一六〇頁本文上段一三行目ないし一六行目)「完全なマッチポンプである。」(一六〇頁本文中段二行目)

(7) 「西山の『あつうならんとあかん』発言があった日、塚本と会ったのは西山と四人組である。この席上、蓮華寺の安井が西山にこう語りかけている。『もう拝観停止に突入するしかないで。一年間はかかるだろうな。西山さん、三十億円覚悟しときなよ』(一六〇頁本文中段一七行目ないし二三行目)『まかしとき』西山が金の側面からも援助しようとしていたことは間違いない。拝観停止を行った四人組の関連寺院だけに、期間中、西山から補償金として金が流れたという話も伝わっている。もう一つ、符号するのは西山が妻の芳子に、あるとき『欲の深い坊主らに、机の上にどんと三十億円積んだら、びっくりするやろな』と語り、二人で高笑いしたということだ。」(一六〇頁本文下段一行目ないし一一行目)

(8) 「西山の金の動きは謎につつまれている。」(一六〇頁本文下段一二行目ないし一三行目)「何に使ったのだろうか。」(一六〇頁本文下段二三行目)

(9) 「西山と塚本が接近した理由は何か。」(一六一頁本文上段九行目ないし一〇行目)「一方、西山の当初の狙いは、塚本を男にすることによって太いパイプをつくることにあった。」(一六一頁本文中段二行目ないし四行目)「おいしい情報は山ほどある。ツーカーの仲になれば、正業としての不動産業も飛躍的に伸びる。」(一六一頁本文中段八行目ないし一〇行目)「塚本は少なくとも、三十八歳の青年に、翻弄されただけであった。」(一六一頁本文中段一八行目ないし一九行目)

(10) 「大山進。本業は不動産屋。日本興業の社長である。本名は鄭性根。四十過ぎの小太りの男。『得体の知れない怪物』(不動産屋)である。所有不明のすりばち池を無断で埋め立て売買して問題となったすりばち事件の黒幕であり、バックに怖い団体を持つ人物として恐れられている。大山と西山は同胞として旧知の間柄である。大山を通して大宮に近づき、信頼させ、そして仏教会のメンバーに紹介した。『何有荘の件は知らなかったが、それだと合点がいく』と地元記者もうなずく。」(一六三頁本文上段一三行目ないし二三行目、同頁本文下段一行目ないし三行目)

(11) 「(三協は)四十九年事実上倒産し、二人は去るがその後西山は独力で三協西山を設立した。」(一六四頁本文中段五行目ないし七行目)

(12) 「金を稼いでゆく手口には今回の西山の動きの原始的パターンが見られる。西山商法の被害者の一人は、不動産の仲介をしてもらったことから西山と知り合い、信用し、金を貸した。しかし、返済されず、この人は世間体からも公けにすることができず、弁護士を間に立て、一年かけて元金だけを取り返すことができた。三協をつくった三人のうち一人は、自分の土地を取られている。自分も代表役員の一人であったため、問題にすることができなかった。こうした話は随所で聞いた。詳細は省くが、共通しているのは、不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするパターンだ。『この方式で城を拡大していった。織田信長のような男です』(被害者の一人)。もう一つ共通点は、被害者の方も社会的に公けにされたくないことから、裁判で争われることなく、事件にはなっていないことだ。」(一六四頁本文下段一行目ないし二三行目)

(13) 「一、二年前、西山は伊丹市で遺産相続でモメていた物件を三億円で買い取った。『そしたら、蔵の中に絵画、骨とう品が山のようにあった。それで彼はごっつうもうけた。遺族が返せ、といっても知らん顔をすればいい。公けにできんさかい』(不動産屋)。五十年から始めた書画、骨とう事業も、この手口で集めた品々が元になっているのだろう。現在、三協西山の本社には有名な絵画、掛軸が多数置かれている。『頭の回転がずばぬけて早い』(弁護士の評価)西山の得体の知れなさは、伊丹で取得した数千点の品を伊丹の柿衛文庫に寄託し、市長、教育長から感謝状をもらっていることにもあらわれている。」(一六五頁本文上段一行目ないし一五行目、同頁中段一行目ないし二行目)

(14) 「古都税問題が騒がれている頃、西陣織物会館の近くにある堀川病院で乗っ取り事件が起こっていた。理事長だった早川一光は老人ボケ対策でも全国的に有名な人である。事件の詳細は省くが、乗っ取りの張本人は西山正彦であった。このとき西山が使った手口は内部の四人の若手医師を組織したことである。医者を通し、人事にも介入しようとしたことさえある。それらの医者から西山を紹介された早川らは一時信頼を寄せたこともあった。幸い、西山の正体を見破り、乗っ取りは未然に防がれた。当時の関係者は西山の策謀を『乗っ取り以外に考えられない』と口をそろえる。若手医師と西山がつながったきっかけは、やはり不動産取引である。その医者は一乗寺葉山にある西山の自宅のすぐ近くにいる。公けにされたくないため堀川病院が取材を拒否しているが、一つだけ付記しておくと、西山と手を切る過程で三協西山の社員から嫌がらせが執拗に続き、警官を呼んだことも一度や二度ではなかった。」(一六七頁本文中段六行目ないし二二行目、同頁下段一行目ないし一〇行目)

(15) 「京都仏教会設立時に、西山がこの手口を使ったのは間違いない。そして人事を固めた。財団法人が認可されれば、一千八百カ寺の会員を持つこの財団法人の人事は西山派で固められ、自由に操作できる。」(一六七頁本文下段一一行目ないし一六行目)

(16) 「『財団法人化』が要になっているのである。東本願寺の高僧は『財団法人ができれば、それ自体が権力を持ち一人歩きする。任意団体のままでよい』と反対し、脱税の温床、『伏魔殿になりかねない』(弁護士)財団法人の認可を行政はしぶる。」(一六八頁本文上段三行目ないし一〇行目)「登記もれの土地が山ほどある」(一六八頁本文中段一行目)「一つは、早川一光に、財団法人が認可された際、共同で社会福祉事業をやろうと持ちかけていることだ。これがヒントである。おそらく狙いは『ボロもうけができる』(病院関係者)老人ホームであろう。敷地は寺にゴロゴロしている。三協西山が介在すれば、相当な金を手にすることができる。資金を出すのは財団法人で、土地を提供するのは寺である。」(一六八頁本文中段一三行目ないし二二行目)「もう一つは、寺は登記もれの土地を相当にもっているし、個人名義の土地もあるということだ。」(一六八頁本文下段一行目ないし三行目)「西山が狙っているのは、その広大な土地だよ。中江(投資ジャーナル)、永野(豊田商事)とスケールが違う。しかも、二人は法に反したが、西山は法に反していない」(金融業者)(一六九頁本文上段五行目ないし九行目)「清水寺など観光寺が個人名義、登記もれの土地をどれだけ持っているかは、誰にも分からない。清水寺の七人の僧とて、松本、大西を除けば知らないだろう。その土地が秘かに他人の手に渡ってもすべては闇の中である。」(一六九頁本文中段三行目ないし九行目)

(17) 「日本人を見返してやりたい」(一六三頁中段小見出し)「魑魅魍魎然とした構造の核は「西山先生」である。本名西山正彦。年齢は昭和二十一年生れの三十八歳。朴銀済が五十八年二月に帰化するまでの朝鮮人名である。」(一五八頁本文中段一〇行目ないし一四行目)「西山の少年時代は悲惨だった。父の仕事は山に発破をかける仕事だった。西山は父と共に行動した。一つの仕事が終われば、また次の山へという生活だった。定住地はなかった。」(一六四頁本文上段二行目ないし六行目)「四十年の卒業してから、看板屋など職業を転々とした。おそらく就職差別に苦しめられたことだろう。姉と妹がいるが、日本人から差別された点では姉の方がもっと激しかった。店を借りようにも、朝鮮人というただ一点の理由で、何度か足蹴にされたという。いわれなき差別、屈辱的言辞。姉から話を聞き、西山は怒り狂い、『日本人を見返してやりたいと考えるようになった』(知人)という。」(一六四頁本文上段一五行目ないし中段二行目)「野望を遂げたとき、屈辱的差別を受けた西山の怨念は晴らせるのか。」(一六九頁本文下段一一行目ないし一二行目)

(三) 本件記事の内容は要するに、原告の金を稼ぐ手口は、相手方と不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするパターンであると決めつけ、その図式に古都税問題を強引に填め込み、その強引な填め込みを、さもそうであるかのように印象づけるために、ことさら事実を歪曲した柿衛文庫の件や堀川病院の件を言上げして、更には「得体の知れない怪物」でありバックに怖い団体を持つ人物として恐れられている大山進なる人物と原告が旧知の間柄であるなどと虚偽の事実を述べて、古都税問題の真の姿を歪めるとともに、原告が、古都税問題を利用し、前記金儲けのパターン通りに、利権漁りをして、原告自身の利益を図ろうとしているように、読者に思い込ませ、しかも原告が元朝鮮人であったことと民族的反感を煽り立てて原告に対して人身攻撃する内容で、原告の名誉を著しく毀損するものである。

3  被告らの責任

被告田代は、被告講談社の業務執行行為として、本件記事を編集したが、その際、本件記事によって原告の名誉、信用を著しく毀損することを十分認識していた。また、被告米本は、ルポライターとして、本件記事を執筆し、現代昭和六〇年一〇月号に掲載させたが、その際、本件記事によって原告の名誉、信用を著しく毀損することを十分認識していた。

4  損害等

原告は本件記事により、その名誉、信用を著しく毀損されたが、これを慰謝するには、少なくとも金五〇〇万円が相当である。また、原告の社会的評価の低下を原状に回復するためには、現代が日本全国に頒布されていることに鑑み、請求の趣旨第一項のとおりの謝罪広告を掲載されることが必要である。

5  結論

よって、原告は、被告講談社、被告田代及び被告米本に対し、不法行為に基づく慰謝料としていずれも金五〇〇万円及びこれに対する不法行為の当日である昭和六〇年一〇月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、並びに請求の趣旨記載のとおりの謝罪広告の掲載を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実はすべて認める。

2  同2のうち(一)及び(二)の各事実は認め、(三)の主張は争う。

3  同3の事実のうち、被告田代が被告講談社の業務執行行為として、本件記事を編集したこと、被告米本がルポライターとして、本件記事を執筆し、現代昭和六〇年一〇月号に掲載させたことの各事実は認め、その余は否認する。

4  同4は争う。

三  抗弁

1  原告は、本件記事が原告の名誉を毀損すると主張するが、本件記事のうち、請求原因2(二)の(2)ないし(5)、(7)、(9)ないし(13)、(16)の部分は、(一)公共の利害に関する事実にかかわり(事実の公共性)、(二)その目的がもっぱら公益を図るためであり(目的の公益性)、(三)事実が真実である(事実の真実性)か、少なくとも事実が真実であると信ずるについて相当の理由があるから(相当性)、被告らが本件記事を執筆あるいは掲載するにつき故意は勿論過失もなく、不法行為は成立しない。すなわち、

(一) 事実の公共性

本件記事の主たるテーマは京都市における古都保存協力税反対運動の経過と、この運動に大きな影響を与えた原告の人物像を描くことにある。そして、古都保存協力税問題は京都の多数の市民、企業、業者、更には京都を訪れる観光客にも多大な影響のある問題であり、社会一般の多数人の利害に関連する事実である。

(二) 目的の公益性

本件記事は、社会一般の多数人の利害にかかわる古都保存協力税反対運動の経過と原告の関係、原告の人物像を明らかにするために執筆、掲載したもので、内容それ自体によって、目的の公益性は明らかである。

(三) 事実の真実性ないし相当性

本件記事のうち、請求原因2(二)の(2)ないし(5)、(7)、(9)ないし(13)、(16)の部分は、いずれも信頼できる資料に基づき、あるいは信頼できる人物からの情報を根拠として記事にした事実であり、被告らが捏造したり、憶測や根拠のない推測によって創作した事実ではない。

2  本件記事のうち、請求原因2(二)の(1)、(6)、(8)、(14)、(15)の部分は、原告に対する公正な論評である。

公正な論評(フェア・コメント)の理論とは、公共の利害に関する事項または一般公衆の関心事であるような事柄については、何人といえども論評の自由を有し、それが公的活動とは無関係な私生活暴露や人身攻撃にわたらず、かつ論評が公正であるかぎりは、いかにその表現が辛辣・激越であろうとも、またその結果として、被論評者が社会から受ける評価が低下することがあっても、論評者は名誉毀損の責任を問われることはないとする法理である。本件記事は右法理により違法性を欠き、被告らは名誉毀損の責任を負わない。

請求原因2(二)の(1)、(6)、(8)、(14)、(15)の部分は、公衆の関心事である原告について、被告米本が行った評価であるが、決して原告の私生活を暴露したものではないし、原告の公的活動、社会的活動と無縁な事項について人身攻撃をしたものでもない。更に、これらの評価の基礎、前提となった事実についても、被告らは信頼できる資料及び信頼できる人物からの情報を根拠としている。従って、本件記事の右部分は原告に対する公正な論評であり、原告にとって辛辣、激越と思われる表現があったとしても、また原告に不愉快な思いをさせたとしても、被告らに許された範囲での論評であり、本件記事により原告の社会的評価が低下したとしても、被告らは名誉毀損の責任を問われるいわれはない。

四  抗弁に対する認否

すべて否認する。

第三  証拠関係<省略>

理由

一名誉毀損の有無について

請求原因1、2の(一)及び(二)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実と<証拠>によれば、本件記事は、「清水、金閣を手玉にとった男、怪商・西山正彦が京を牛耳る」との見出しで、昭和六〇年八月当時、京都市で問題となっていた古都税反対運動に関して、原告の人物像を中心としたノンフィクション記事を扱う中で、「闇の支配者は何を狙うのか」「会場入口で記帳した署名簿がそのまま念書に変わる。謀略以外の何ものでもない」「西山商法は…不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするパターンだ」「西山の得体の知れなさは、伊丹で取得した数千点の品を伊丹の柿衛文庫に寄託し……」「堀川病院で乗っ取り事件が起こっていた。……当時の関係者は西山の策謀を『乗っ取り以外考えられない』と口をそろえる」「財団法人が認可されれば、一千八百カ寺の会員を持つこの財団法人の人事は西山派で固められ、自由に操作できる」など、原告を京都における古都税問題の陰の演出者と位置づけて読者に古都税問題を利用して自己の利権を拡大しようとする黒幕的な存在であるとの否定的評価を与えかねない内容の記載があり、これらは原告の社会的評価を低下させるものといえ、原告の名誉、信用を害すべき性質のものであることは明らかである。

二抗弁について

1  民事上、報道機関や出版社等の行為による名誉毀損については、個人の名誉の保護と表現の自由との調和を図る観点に立てば、報道等の表現行為により、その対象とされた人の社会的評価を低下させることとなった場合でも、当該行為が公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合において、摘示された事実の真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、その事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、右行為には故意又は過失がなく、結局不法行為は成立しないものと解するのが相当である(最高裁一小昭和四一年六月二三日判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)。

被告らは、原告に対する評価の部分は公正な論評の法理により違法性を判断すべきだと主張するが、公正な論評は、それが逸脱したものでない限りその自由をできるだけ認めるのが相当であるけれども、論評による名誉侵害行為であろうと違法性阻却に関する当裁判所の右見解は基本的には維持されるべきもの(最高裁一小平成元年一二月二一日判決・民集四三巻一二号二二五二頁参照)であって、被告らの主張する右法理が論評の場合にはその他の要件を大幅に緩和し又は不要とすべきであるとの趣旨であるならば、当裁判所の採用しないところである。

そこで、以下本件記事を右観点から検討する。

2  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

(1)  被告講談社の現代編集部は、昭和六〇年七月末ころ開催された編集会議において、昭和五七年以降長期間にわたり京都市と京都市仏教会(昭和六〇年春に京都府仏教会とともに発展的に解消して京都仏教会となる。以下「仏教会」という。)が対立して世間の関心を集めた古都税問題に関し、寺院の財務問題の観点から「古都税に揺れるお寺の台所事情」との記事の企画を決定し、編集長である被告田代は、編集担当者を通じ、かつて二回原稿執筆依頼をし、その記事につき取材力があり文章表現力もあると評価していた被告米本に右記事の取材を依頼した。

(2)  被告米本は、被告田代の右依頼を受諾し、まず、昭和五七年七月から同六〇年八月ころまでの古都税問題を扱った京都新聞を取り寄せ、克明に分析した結果、古都税は信教の自由を侵さないか、拝観料を払って拝観することは宗教行為か、仏教会と前京都市長との間に二度と文観税あるいは古都税のような税金はかけない旨の覚書がありそれを京都市役所が侵しているのか、などといった問題があることを理解した。さらに、被告米本は、取材準備として、埼玉県飯能市にある能仁寺の和尚、税理士、自治省等に寺院の台所事情や寺院と古都税の関係を取材し、昭和六〇年八月九日、京都市へ現地取材にでかけた。

(3)  ところが、その日の前後に、テレビや新聞で京都市側と仏教会側との間であっせん者会議に一任する旨の和解が同月八日に成立した(以下「八八和解」という。)とのニュースが流れた。右ニュースに接した被告米本は、両者が三年間にわたりあれほど厳しい対立状態にあったにもかかわらず、一転して和解が成立したことに重大な疑問を抱いた。

(4)  そこで、被告米本は、同月九日、サンケイ新聞の京都担当記者に会い、寺院の台所事情の問題に加え八八和解成立の事情について聞いたところ、自分はよくわからないが知りたければ次の人にきけばよいということで、常寂光寺住職の長尾憲彰(以下「長尾」という。)、清水寺貫主の松本大圓(以下「松本」という。)ほか一二、三人くらいの僧侶の名前を教えてもらった。また、清水寺での松本の記者会見に臨席したり、蛸薬師にある正覚寺の土方和尚(仏教会の中京区支部長)から観光寺がいかに儲けているかという話を聞いたりした。さらに、中外日報の元記者に寺の台所事情について取材するとともに八八和解についてどう見るのかを尋ねたところ、仏教会会長である青蓮院門主の東伏見慈洽(以下「東伏見」という。)が皇后の弟になるから、宮内庁、天台宗の圧力がかかり和解に追いやられたのだろうとの推測を聞いた。

(5)  同月一〇日、被告米本は、京都市長選挙の出陣式があったので今川、湯浅両立候補者の事務所に行き、八八和解のことについて尋ねたけれども、今川陣営からは何も教えてもらえず、湯浅陣営からは密室で何かされている感じであり、さっぱりわからないとの話を聞くのみであった。次に、被告米本は、京都市の三人の税理士から、京都の観光寺は税金に対してもルーズでぼろ儲けしていること、清水寺では年間一〇億円程度の収入があるのではないかということを聞いた。

その後、被告米本は、長尾に面談し、同人から常寂光寺の財務内容について説明を受けるとともに、八八和解について次のような興味深い話を聞いた。

ア 八月八日夕方、相国寺において古都税対象寺院会議が開かれた。

イ 当日仏教会から、従来は対象寺院の住職だけしか出席できなかったけれども今回は檀徒総代等責任のある人も出席してもよい旨の連絡があった。

ウ 相国寺に入ると出席者全員が署名をさせられ、また座席も指定されていたが、これは対象寺院会議がそれまで何回も開かれていながら、初めてのことであった。

エ 会議の冒頭、司会者である相国寺美術館局長(兼金閣寺責任役員)の有馬頼底から、原告は古都税問題で指導してもらっていた人であり、原告から和解案について説明してもらうという紹介があった。

オ 原告が、説明に先立ち、明日から拝観停止中の門を開いてもよろしいと言ったため、拝観を停止して台所が苦しかった各寺院からの出席者たちは非常に喜んだ雰囲気で会場がどっとわいた。そして、原告から、財団法人を設立して拝観料をその財団法人にすべて委託し、その中から一部を協力金という形で京都市に払うが、京都市はそれを税金として受けるというのが和解案の要旨であるとの説明があった。

カ 原告の説明を聞いて、南禅寺総長の松浦は、何故自分の寺の拝観料を財団法人に委託しなければならないのかなどと憤然とし、席を蹴って退出した。他方、長尾は細部にわたり異議を唱えたところ、原告は、私が信用できない男か見てくれと言い、結局同日午後四時から、今川京都市長との面談があり、同市長が待っているのでどうしてもこの和解案で認めてもらわなければいけないと言って押し切ってしまった。

キ 仏教会には、広隆寺貫主の清瀧智弘(以下「清瀧」という。)、蓮華寺副住職の安井攸爾(以下「安井」という。)、清水寺執事長の大西真興(以下「大西」という。)、相国寺執事の佐分宗順(元銀閣寺執事、以下「佐分」という。)のいわゆる四人組が仏教会理事長である松本の脇をかためていて、本気で古都税を解決するために市長選に仏教会独自の候補を出そうと長尾が進言しようとしても遮られてしまう。右の四人組は仏教会の癌である。

(6)  同月一一日、被告米本は、まず最初に広隆寺で清瀧に会い、同人に八八和解についてどう思うか、あっせん者会議の大宮といつごろから接触しはじめたのかなどと質問をしたところ、清瀧は、当初は回答を拒否していたが、同月八日の対象寺院会議に原告が出席していたのではないかという質問に及ぶや、顔をこわばらせながら、いやわしは知らん、原告なんか出ていないと強く否定するに至った。被告米本は長尾から原告が右会議に出席していたことを聞いていたため非常に不審に感じ、八八和解の背景には長尾が指摘するように原告と四人組が暗躍しているのではないかとの疑念をますます強くした。

(7)  次いで、被告米本は、長尾の教示により山下潔弁護士の事務所に行き、同弁護士が関与した堀川病院事件を中心につぎのような話を聞いた。

ア 堀川病院事件というのは、当時の同病院長である早川一光(以下「早川」という。)が、病院の増改築計画に絡み原告に増改築計画を一任する旨の念書を渡したのに、同病院がそれを遵守しなかったことから、原告が社長をしている三協西山という会社の社員が、早川、日下本雄、橋本事務局長(以下「橋本」という。)らに夜な夜なマイクでがなりたてる等の妨害行為をしたというものであって、執拗な脅迫等が続いたため、橋本は一か月間自宅に帰れなかった程であり、右妨害行為を排除する裁判を起こした。その念書は、実は早川が左京区下鴨にあるプリンスホテルにおいて、深夜一時ないし二時という切迫した状況で原告に捺印させられたものであり、また、早川が原告との念書を遵守しなかった理由の一つは原告が堀川病院の人事問題にまで口を出してきたことである。

イ 原告はやくざでもなく地面師でもなく、得体が知れない人物である。

ウ また、原告を清水寺で見かけたことがある。

エ ある事件で、土地登記簿謄本をくまなくとったところ、清水寺の大西良慶ないしは大西真興名義の登記簿謄本があり、意外なところに清水寺の飛び地があることに驚いた。

(8)  続いて、被告米本は、山下弁護士の事務所から橋本に電話をして、堀川病院事件のことを聞いたところ、橋本が堀川病院の信用上事実経過を話したくないこと、話をすればまた原告から脅されるということを理由に取材を渋ったため難航したものの、橋本から堀川病院事件は原告の乗っ取り以外に考えられないとの見解を聞き出した。その後、被告米本は、堀川病院、三協西山の本社、原告宅を見て回った。

(9)  さらに、その日の夜七時から一二時にかけて仏教会事務局長の鵜飼泉道(以下「鵜飼」という。)からつぎのような話を聞いた(なお、鵜飼証言中には、この日は原告の話題を意図的に避けたとの部分が存するが、その直後に四年も前のことなのではっきり記憶していないなどとあいまいな証言をしているばかりか、当時被告米本の関心はもっぱら原告の人物像にあったことからすれば、右証言内容はにわかに信用しがたい。)。

ア 原告は、仏教会と以前から関係があり、原告と鵜飼は古都税反対運動の闘争戦術などについても相談し合う仲であり、鵜飼のところに原告からよく電話がかかってきた。

イ ところが、昭和六〇年二月ころから原告と鵜飼との仲が徐々におかしくなりはじめ、以前よくかかってきた電話もかかってこなくなり、仏教会の情報が入らなくなった。そこで鵜飼は仏教会の動きを京都市在住のマスコミ関係者から教えてもらうようになった。

ウ 仏教会を財団法人化しようと考えたのは鵜飼自身であり、それは、古都税問題で仏教会に対する市民の批判が強く、市民を巻き込む形でなければ古都税反対運動が組めないので、仏教会自身も社会福祉とか現代と仏教というテーマに取り組まなければならず、そのためには財団法人を作る必要があると考えたからである。

エ 鵜飼に連絡が途絶えたころから、原告が財団法人を何かに利用しようとしているのではないかと思われるようになった。

オ 鵜飼は、人間がひとつの組織を支配する場合には、組織の一番上の人間と親しくなって、その人間を自由に操るようにすればいいと話し、暗に原告と仏教会の関係を示唆した。

カ 昭和六〇年はじめの仏教会の人事はかなり強引にされた経緯がある。従来は代議制民主主義の形がとられていたけれども、今回の人事は観光寺すなわち古都税で税金をかけられる寺が中心となっており、その中には原告と非常に親しい人が多く入っていることが特徴として挙げられる。このような形では仏教会は一七五〇か寺加盟しているのに観光寺約一〇〇か寺が仏教会を代表しているようになってしまう。

(10)  被告米本は、同月一二日、法務局に行き、三協西山の商業登記簿謄本、土地の登記簿謄本、原告の自宅の土地及び建物の登記簿謄本を取り、抵当権が設定されているかどうかを調べたところ、三協西山の土地に第一勧業銀行百万遍支店の根抵当権が設定されていて、その被担保債権額が昭和五七年二月には一億円だったのが、同五八年には二億六〇〇〇万円、同五九年一月には四億円、同年五月には八億円、同六〇年一月には一〇億円、同年五月には二〇億円になっていた。右調査の結果、被担保債権額の増加の時期と原告が古都税に深く関与する時期とが一致することから、被告米本は、右金銭の使途や増加の理由について重大な疑問を感じるに至った。

(11)  次に、被告米本は、ワコール会長の塚本幸一(以下「塚本」という。)に会い、次のような話を聞いた。

ア 原告とは、一〇年前に娘の結婚式に原告が出席していたことから顔見知りとなり、娘の紹介で原告と面会した。

イ 原告は、会うなり「おっさん、あんたを男にしてやる」と言い、古都税問題を塚本の手で解決させる旨の発言をしたが、過去四年間にわたった、自民党の大物代議士すら解決できなかった問題が果たして簡単に解決できるのかと不信感を抱いた。そこで、当時京都商工会議所の会頭で古都税を推進する方向で古都税問題を解決すべき立場にあったことから、古都税反対派のリーダーである東伏見、松本との面会の斡旋を原告に依頼したところ、後日実際に東伏見、松本と面会できたことから、原告を信用して古都税問題解決のため原告に協力することとした。

ウ ところが、古都税問題解決の糸口がつかめず、昭和六〇年七月七日に開かれる京都商工会議所主催の古都税実施促進集会までに解決できないかとあせっていたので、同月六日原告に対し、解決策の提示を強く迫ったところ、原告は、「まだ時期がある。もっと熱うならんといけない、古都税問題を紛糾して市長選の直前までもっと紛糾しなければいけない。」と言った。その場には、原告のほか清瀧、安井、大西、佐分の四人も同席していたが、安井は原告に対し拝観停止は避けられず、一年継続するとすれば三〇億円はかかるが覚悟しておいて欲しい旨の発言をし、原告もこれを了承した。

エ 原告から「もっと熱うならんといけない。」との発言を聞いて原告に対する不信感をつのらせ、この時点で、原告との裏交渉から訣別して、古都税問題そのものから手を引くこととした。

(12)  その後、南禅寺の松浦に会い、八月八日の対象寺院会議の模様を聞き、大筋が長尾の話のとおりであることを確認したのち、第一勧業銀行百万遍支店に行き、原告への融資状況を聞いたけれども、顧客のことは話せないと断られた。

(13)  同月一三日、被告米本は、まず、清水寺住職の福岡に会い、八八和解についての考えを聞くとともに、原告が清水寺に出入りしているのをしばしば目撃した事実を聞いた。次に、被告米本は、堀川病院事件の担当弁護士である大阪の高島弁護士に会い、山下弁護士の話を確認した。

その後、京都の政界、財界に通曉していて、塚本から紹介を受けた人物から、仏教会の財団法人構想や原告の目的などを聞いた。同人の推測によれば、原告は社会福祉施設、寺の土地、財団法人の三つを利用して寺の土地を手に入れる計画をしているのではないかということであった。また、被告米本が、八八和解であっせん者会議のメンバーである京都商工会議所副会頭の大宮隆(以下「大宮」という。)と原告との関係を問いかけたところ、右同人は、南禅寺の側にある何有荘が元大宮の所有だったけれども大山進(以下「大山」という。)という得体の知れない人物に売却されており、大山も原告も在日韓国人であったことから、大宮―大山―原告という関係があるのではないかと発言した。

(14)  そこで被告米本は、同月一四日、まず何有荘の土地登記簿謄本を取り寄せて大宮隆から大山進に売却されている事実の確認をした。他方、被告米本は、京都市交通局に問い合わせ、交通局が原告に土地を売却したけれども代金を支払ってもらえなかったという話を確認した。続いて、被告米本は、ある不動産屋から兵庫県伊丹市の相続でもめている物件を原告が買い取ったところ、その中の倉の中から松尾芭蕉等当時の俳句に関する重要資料が多数存在していたことから、原告はたいへん儲けたかたわら、美術品を伊丹市に寄託して、伊丹市から感謝状をもらったとの話を聞いた。さらに被告米本は、三協西山の前身である三協という会社の設立メンバーの一人とその母親に電話で取材し、三協が三人で設立された経緯や、原告が土地取引を媒介にして人と付き合い、同人を信頼させておいて、とことん利用し、利用価値がなくなれば切り捨てるとの手口により、他人の土地を奪い取っていることを聞いた。

(15)  被告米本は、同年八月九日から同月一四日まで京都で取材する間に三回、原告本人に取材を申し込んだが、その度取材を拒否された。そこで、原告の高校時代の同級生や知人から、原告の人となりを聞いて回った。

(16)  京都での取材を終え、帰京した被告米本は、被告講談社の現代編集部に行き、古都税問題が一人の人物によって操られているような疑義があるので、お寺の台所事情という当初のテーマを変更し、原告の人物像を中心として古都税問題には利権問題が潜んでいるのではないかという立場からの記事にしたいと要請し、編集長である被告田代もこれを了承した。

(17)  被告米本は、東京に戻ってからも、京都に何度か電話をかけて取材を続けていたが、鳥飼元京都市助役に電話をしたところ、八月一九日に「けいしゅう」という焼肉屋の前で原告と大山が一緒にいるところを見たことを聞き、二人に面識のあることを確認した。そして、本件記事の原稿を八月二一日ないし二二日に書き上げ、被告田代に手渡した。被告田代はその原稿を全部読み、書かれている一つ一つの事実について確認が取れ信頼に値するものであるのかを逐一確認したところ、難しい取材にもかかわらず、広範囲な人物に直接取材したうえ、一人の証言だけであいまいな部分は、複数の人に確認を取ることを実践しており、しかも取材した情報のうち確実と思われる情報のみを記事とし、確認の取れなかった情報はあえて記事にしないという方針をとるなど大変しっかりした取材に基づく原稿だと判断した。そこで、編集部でタイトル、リード及び小見出しを書き入れ、若干手直したうえ印刷に回し、九月五日に現代一〇月号の記事として掲載した。

以上のとおり認められる。

3  そこで、事実の公共性及び目的の公益性について判断するに、右事実によれば本件記事は、昭和五七年以来約三年間にわたり京都市と仏教会が対立を続け、拝観停止等の異常事態にまで発展していたにもかかわらず、八八和解によって急遽解決をみるに至ったことから当時世間で関心を集めた古都税問題ないしはこれに深く関与し、右八八和解においても中心的な役割を果たした原告に関するものであって、公共の利害に関するものであることは明らかである。そして、右認定事実によれば、被告田代が被告米本に原稿を依頼した当初の企画は、右古都税問題に関係して寺院の財務状況を明らかにしようとした「古都税に揺れるお寺の台所事情」ということがテーマであったところ、被告米本が京都へ現地取材に行く前日の昭和六〇年八月八日に至り、一転して右当事者間において和解が成立したことから、その不透明な過程、京都仏教会の内情、原告の仏教会への関与態様等を明らかにする目的で急遽、原告の人物像を中心とした古都税問題の真相ということにテーマを変更して本件記事が執筆され、被告田代の責任において月刊雑誌に掲載したものであるから、被告米本及び被告田代は公益を図る目的をもって本件記事を執筆、掲載したものと解することができる。

4  次に事実の真実性ないし相当性について判断する。

(一)  <証拠>によれば、昭和五八年夏市内寺院の移転問題に絡み、住職が寺の売却金を私物化し、信者が仏教会に解決策を相談に来るという事件が起こり、仏教会の事務局長であった鵜飼と前記安井は、この種の問題に詳しい僧侶の紹介で同年八月ころ原告と知り合い、助言を受けていたが、原告が古都税問題にも深い関心を示していたことから、右問題についても個人的に相談を持ち掛けるようになり、やがて原告を理事長である松本にも引きあわせ、古都税反対運動への協力を得るに至ったこと、当時原告の存在は会長、一部理事など数名の幹部が知るのみで、原告との接触は鵜飼、安井、佐分、大西が当たっていたこと、原告は仏教会幹部に対して拝観停止により今川市長を追い込んだうえ市長選挙直前に一気に解決を図る方針を提案し、市長選に向けて拝観停止の準備をするとともに、原告の人脈(塚本等)を利用して水面下で今川市長との交渉を持ち、組織固めと古都税対象寺院への説得は、清瀧、安井、佐分、大西の四人が当たる一方、原告は仏教会幹部に解決まではマスコミと一切接触を絶つことを要請し、仏教会側もこれを忠実に実行したこと、仏教会財団法人化の方針は既に昭和五八年から仏教会内部で検討されたが、基金が集まらず成果を挙げられなかったところ、八八和解では仏教会を財団法人化するとの条項が存在したことの各事実が認められる。

右事実関係からすると、原告は寺院の土地問題解決を契機に仏教会と深くかかわるようになり、古都税問題についても、仏教会の鵜飼、安井、佐分、大西の四人の僧侶と密接な関係を持ち、運動方針の決定中、仏教会の財団法人化を含む八八和解の成立に中心的な役割を演じながら、八八和解に至る過程では表舞台に出ることがなく、いわゆる黒幕的な存在であったとの点は疑うべくもないが、それ以上に、本件記事中の原告指摘の部分が真実であることを認めるに足りる的確な証拠はないというべきである。

(二)  ところで、取材に係る事実が真実であると信ずるについて相当の理由があるというためには、月刊雑誌の社会に与える影響の大なることに鑑み、右事実が単なる風聞や憶測に依拠するだけでは足らず、それを裏付ける資料又は根拠がなければならないけれども、報道機関だからといって取材活動につき特別の調査権限が与えられているわけではなく、また、報道に要求される迅速性のために、その調査にも一定の限界が存することを考慮すれば、裏付資料や根拠に高度の確実性を要求することは相当でないから、民事上の不法行為の責任阻却事由としての相当性の理由については、報道機関をして一応真実であると思わせるだけの合理的な資料又は根拠があることをもって足りるというべきものである。そればかりでなく、月刊雑誌が一般社会に与える影響は、記事掲載の仕方や表現の方法によっても異なることは、当然であるから、真実性の有無、程度も、単に客観的事実の証明度のみによって決すべきではなく、記事掲載の仕方や表現の方法をも考慮し、これとの相対的判断によって決定するのが相当である。

(三)  これを本件についてみるに、前記認定事実によれば、被告米本がルポライターとして本件記事を執筆するに当たり、原告が古都税問題をてこに仏教会に深く関与し古都税問題を劇的に解決させることで何らかの利権を得ようとしていた事実が真実であると信じたことは十分推認できるところ、被告米本は、本件記事中の原告指摘部分のすべてについて、仏教会幹部及び原告が報道機関と一切の接触を絶っていた状況下で、可能な限りの情報源に複数取材しており、また予備取材に一〇日以上、現地取材に一週間、原稿化に一週間を費やすという月刊雑誌としては比較的長く取材し、取材した情報のうち確実と思われる情報のみ記事とし、確認の取れなかった情報はあえて記事にしないという方針をとっているのであり、推測にわたる部分も当時の状況及び情報提供者の社会的地位、原告の八八和解への関与の程度からみて右記事程度の推測をしたとしても特に不合理であるとはいえず、取材事実が一応真実であると信ずるだけの合理的な資料ないし根拠を把握していたものと認められる。そして、本件記事の掲載の仕方や表現の方法をみても、一部にやや主観的、断定的にわたる部分も存在するけれども、全体的に見れば、確実な事実と伝聞事実とをほぼ明確に区別して読者に取材経過の時系列に即して理解できるような記事となっており、全体として真実と信ずるに相当な理由があったと解することができる。

5  よって、被告らの抗弁には理由があるといえるから本件記事の執筆、掲載は違法性及び責任を欠くものというべきである。

三結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官堀口武彦 裁判官奥田哲也 裁判官杉浦徳宏)

別紙<省略>

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